ペンション・モーツァルト日記

山中湖畔・平野の森の入り口にある“ペンション・モーツァルト”の日記です。

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サハラ砂漠紀行 ⅩⅢ  ‘イニシエーションの旅’

‘ 漂泊の思いやまず ’‘日々旅にして、 旅を栖とす ’

この芭蕉の言葉に習い、リュックの中は隠しもできぬ命一つで、赤道地帯を放浪した日々は、いまや私の中で、過日の栄華に満ちた黄金の季節となり、時に熟成されたその芳醇な香りに包まれるたびに、不思議な望郷の念に駆られます。

砂漠

命がおおらかに息づく赤道の旅では、人はこんなところにも住むものかと思うほど、あらゆる場に人の暮らしがありました。
そこにつつましく生きる人々は、太古以来の風土の、山や川や森と同じ不可欠な点景として風景にすっかり溶け込んでいました。

もう日本では、とうに失われてしまった、昔ながらの変わることなく繰り返される素朴な暮らしが、栄えある神々の豊かな神話や伝説に守られ、大自然と共に生きる叡智から生まれ出た風習とともに、今もこの同じ時代に営まれています。

人々が伝える美しくもまた不思議な様々の風習の中でも、とりわけ私に強烈な印象を与えたのは、若者が部族の大人の世界に迎え入れられるための通過儀礼(イニシエーション)の風習でした。

ネイティブアメリカンのある部族の若者は、弓矢と火をおこすヤジリだけを携え、荒野に3ヶ月たった一人で生きのびねばなりません。
その試練の始まりの日から、村人総出で迎える聖地での成就の暁の日まで、彼の心の中には、どのようなドラマが起承転結するのでしょう?
荒野における彼の心の旅路の果てに生まれる明星に、思いを馳せざるを得ませんでした。

民族の文化や伝統の何千年にわたる不文律が、このイニシエーションの試練を通じて、一人の若者の生身の命に刻みこまれます。
命の火が手わたしで世代を伝えられていくように、心の灯となる古代の叡智が命から命へと伝えられていく有り様を観て、人は日常の時に重ねて、時を貫く、曼荼羅のように壮麗な神話的領域をも生きるものなのだということを、私は知りました。

それは、雪解けの大地を穿ち、初めての太陽のまぶしさの中で、すっくと双葉を開く野の草たちのように、地の万物が億万年絶えることなく、宇宙のまっただ中で歌う生命讃歌の隊列に連なるものでした。

地球のあらゆる地で民族の未来を託するためになされる、この白刃の門をくぐるようなイニシエーションの厳しい試練が、まさに彼らを作りあげたのです。その試練の旅路の果てに生まれたであろう輝きは、いったい彼らに何を伝えたのでしょうか。若き釈迦もイエスも荒野を彷徨されたのち、暁の明星を観て道を開かれたといわれています。

私の生地四国では、山野の荒行の最後の場を求められた空海が、太平洋の荒波が穿った洞窟で、曙に先立ち水平線より昇る明けの星の眩いばかりの妙光に射られて、悟りを開かれたと伝えられています。

この茫漠たる闇のただ中に突如出現する一点の光りは、この宇宙の中で、物質と反物質が出会ったとき、互いの‘対消滅’により誕生するという‘光り’の本性そのままに、人がアッ!と息をのむその瞬間、オセロの黒を白に反転させ、実在を支配する時系列を断ち、因果律のくびきを放ち、人の心を虚数のようなある永遠性で満たすのでしょうか。
そのとき、白昼の空虚のような人の心のスクリーンは、何を写しているのでしょう。

美しいチュニジニアンブルーの地中海に面した古代カルタゴの遺跡から始まった砂漠の旅は、私には思いもかけず、このようなイニシエーションを体験する心の旅路となりました。

思えば、あまたの旅はこのような体験するために、人を呼ぶのでしょう。
更には人生そのものも、日々その門をくぐる旅なのでしょうか、遠くサハラに発したこの道は、私の中では今も終らず、目前には地平線の彼方まで更なる道が続いています。

さえぎるもの何一つない360度の地平線という場を、私たちは持ちません。サハラ砂漠を初めて訪れた者を最初に襲うのは、その前には自らを消失してしまいそうにさえ思えるほどの圧倒的な砂漠の存在感です。

この天地の巨大さのまえには、私たちの慣れ親しむ、いかにも人の身の丈にあった手頃な空間意識は、完全に壊れてしまいます。
このような日常感覚を断ち切る場では、その喪失と共に‘私’をも、まるで服でも脱ぐかのように失って、もはや身を守るもの一つ無く、生命そのものでしかなくなります。

しかも、この生命は自からの手によるものでなく、気が付けば既にここにあり、なぜ宇宙の一点、今ここにあるのかを答えることもできません。
そのとき人は、その場においても、また自らの命の中でさえエトランジェとなり、寄る辺を失う恐怖を招くのではないでしょうか。

しかし、この恐怖の底を見据えることこそが、イニシエーションの第一の試練となりました。


    …‥‥・つづく・‥‥…
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サハラ砂漠紀行 ⅩⅡ  二重螺旋の秘密

昔むかし、あるところ…、サハラに渡るために、南イタリアの名も知れない小さな村を訪れた時のことです。とても不思議な事に出会いました。

もう、一日もいれば、その村の家の数さえ数えられそうな小さな村でした。すみれ色の夕靄に包まれて、ニセアカシヤやミモザの花の香りが一日の安息を人々に与える頃です。異邦の地の独り身ゆえに人恋しさがつのります。宿の主人に尋ねると、人の集まるにぎやかなところがあるといのです。

エニシダの垣根が続く小高い丘を降りていくと、時まさに眼下の地中海のチュニジアンブルーのみなもが落日に、かのヘルダーリンが歌ったアポロンの古代金に染め上げられていました。

‘アァ!あの黄金のさざ波うつネプチューンの王衣の向こうに憧れの地があるのだ’とそのまぶしさに目がくらみました。金色に発光する海の彼方から、たしかにカルタゴの海を埋め尽くす大船団と共に偉大なサハラの風が吹いてきました。

サハラの薫りに我を失い時を忘れたしばしのち、黄金海が夕闇のなかに過日の栄えのごとく消えゆくと共にその幻も消え去り、行く手に一つ二つほの暗い明りが見えてきました。生い茂った木々の枝のシルエットの向こうがほの明るく、かすかに人の気配が漂います。

小さな丸い広場でした。数十人の人がいるようでした。しかし実に奇妙な集まりです。人々が輪になって歩くでもなく歩いています、しかも二重に。内側の輪の人は時計回りに、外側の輪の人は反対回りに、一言二言の挨拶が、水紋がみなもを伝わるように廻っています。

それは、まったく理解できない光景でした。
古代バラモン僧が永遠のために捧げる、千年止むことのない勤行のようでした。人々は一人一人出会う毎に、軽く会釈するのですが、挨拶の言葉は聞き取れぬほど秘めやかです。まるで、口から出た言葉が相手をその勢いで壊しかねないのを危ぶむごとくなのです。そして、輪はただ回りつづけます。

彼らは、一体なにをしているのか、盆踊りでもなく…。人ごとながら、結末のない劇を見ているようで、わけもなく焦燥感がつのります。

しかし、やがて夜が更けると共に私は感じてきたのです、夜の闇が、果実が色づくように色づき熟れた香りを放ちはじめるのを。目に見えなくとも、その場は潮の高まるように何かの熱気を孕みつつありました。

人一人がそこに在る時、私たちはただたたずむ人をも幻とは思わず、確かにそこにいると感じます。それは、目に見えず耳に聞こえなくとも、人の内なる脈うつ力を、自らが在るのを汲むのと同じ器で、両手で清水を汲むように、汲み取るからではないでしょうか。彼らは見つめ合うことで、互いにその力を汲み取り合い、与え合ってていたのです。

まるで、遺伝子の二重螺旋が、共に手を取り合い、回りながら昇化していくように!それを為す人には、もはや言葉はいらず、ただ瞳と瞳を結ぶだけでよかったのです。


人が大きな窓から、その朝(あした)初めての富士を見ます。その時、見る人はどなたも、見たとは言わないでしょう。ただ見ただけなら、寝ぼけた夢幻も見るのです。それは、今まさに人と富士が‘出会った’としか言いようのないなにものかです。

そして、瞳から瞳へ流れるように富士の存在が放つエネルギーをいただく事になるでしょう。私たちはその力にに共振し、命が高まるのを感じます。

たぶん、私たちはそのような共振関係で、人や世界と結ばれ、また結びかえすのではないでしょうか。南イタリアの小村の村人達は、何千年何万年そのようにして、互いの生きてることを言祝いでいたのです。



     …‥‥・つづく・‥‥…

サハラ砂漠紀行 ⅩⅠ  ‘ サハラの風 '

赤や黄や黒の原色、 金やスズや銀、 太陽やカルタゴの海、永遠なるものへの憧れを秘めたチュニジニアンブルー、そして黄土色や赤茶けた大地…。

異国を訪れ、一番始めにその異文化の鮮烈な洗礼を受けるのは、その風土に特有の色彩です。初めて訪れたアラブは、まずは大地と空の色からして、私の常識を壊しました(笑)。そして、ここが大砂漠の重力に支配される地であることをあらためて私に教えたのです。

この信号機の赤と青がひっくり返るぐらい色の文法が異なるアラブの街で、不用意に目を開くことは、壊れた万華鏡を無理に覗かせられたような支離滅裂な印象にめまいをおぼえるほどでした。

しかし、この私達の許容の域をはるかに超え、熱を帯びてあふれかえるアラブの色彩の魔力に幻惑され、いつしかそれを愛するようになるのに、そう時はかからなかったのです。

“旧約”の悠久の時代から漏れてくる、時にあせた没薬や乳香の香り…

人を蠱惑するブロンズ色のなめらかな肌から薫る香油…

アラブの男どもの太鼓腹をつくる秘薬めいた食物のスパイスや炒られた油の匂い、ラクダの獣臭や羊肉臭…

ひからびた大地にしみこんだ計り知れない量の血と汗の匂い…

甘く爛熟した熱帯の夜にむせかえる花の香り…

そしてそれら全ての上を超越し、吹き抜ける大砂漠サハラの存在を教える風。

私は、この偉大なる香りにあらがう術もなく引きつけられ、おののきながらも至高の地サハラを目指して、魂の本能の命ずるまま一歩一歩、心の中の階段を登っていきました。

大サハラの頭部を飾る花飾りのように点在するこれらアラブの世界は、五感を刺激する全てのものが大気の熱にあぶられ、エロスとタナトスが織りなす七つのベールを舞うサロメのあらわな美しい臍が、喧噪と混沌の渦の中を、すべての耳目を引きつけながら奈落の底に落ちていくように“タブラ”( 魂の恍惚 )の大鍋に落っこちて、ごった煮されているようなものでした。

しかし、時まさしくモスクの天を指さす美しいミナレット(尖塔)から、祈りを呼びかける‘アザーン’の声が響きわたり、クルアーン(コーラン)の祈りの読唱が永遠に続くかのようなアラベスクの尾を引きながら大気に溶けて町を覆うと、それまで四方八方ハチの巣を突いたような喧噪で、町全体がうるさい大いびきをかいてるような騒ぎは、巨大なアラブのランプに吸い取られ、万の群衆がうごめき、ざわめくスーク(バザール)もなにも辺り一面を深い聖なる静寂が包みます。

目の前の同じ町が、瞬時のちに魔法のようにこの世のものとは思えぬものに変わりました。

曙の礼拝(ナンと、丑三つ時を少し過ぎた3時から4時過ぎ!アラブを旅する人の悩みの種です、笑)から夜の礼拝へ、一日5回の「アッラーヘアクベル」(神は偉大なり)の言葉と共に、立ち、ひざまづき、両手を前に頭を深く拝する祈りの姿は、彼等の魂の中で白鳩が天に向けて登り続け、光りの中に溶け、やがてそれが慈雨となり彼らに降り注ぐ、まるで‘メビウスの輪’のような美しい出来事を私に見せました。

この人々の祈りの思いが異邦人の私の肌を包み、つい先程までのむせかえるような熱気さえ、モスクのファサードを飾る神秘的なアイスブルーのタイルのような涼やかな冷気に変わり、共にこの身を包むのでした。

この聖と俗の融通無碍こそがアラブの神髄であり、それは国土の大半を征する大砂漠が人の決して手なづけることの出来ぬ、人を遥かに凌駕する存在として磁場のごとく、町をそして人々の心を畏敬の念で秘かに治めていることの証しでありました。

それはまるで白昼夢を見ているかのようなマジカルな光景でした。


  …‥‥・つづく・‥‥…

「サハラ砂漠紀行」Ⅹ ‘ エロスとタナトスの舞い ’

季節も三月を迎えると、標高1000mの湖に降る雪も、もう冬の雪ではありません。去りゆく冬がなごりを惜しむかのように明るい空から牡丹雪が舞い降りてきます。人は贅沢ですね、あれほど温かい春を待ちわびていたのに、イザそのはしりを見ると振り返って冬の楽しさ美しさに惹かれます。

冬の楽しい思い出は、毎年お正月に山川紘矢さん・亜希子さんに、お目にかかれることです。まるでX'masの夜の子どもが贈り物をいただいたように、‘アァ、今年もいい年になりそうだ!’と、希望と力が湧いてきます。あれだけの大きなお仕事を為されながらも、学ぶこと歩むことをおろそかにされない、その謙虚で誠実なお姿に深く心うたれるからです。

会には、毎年全国からたくさんの方がお越しくださいますが、皆様初対面にかかわらず申し合わせたようにお心が響きあい、美しいハーモニーにこの場が清められるような思いがして、いつも深い感謝の気持が起こります。

今年は特に印象深い会でした。いつも変らぬ亜希子さんの慈愛の大きな翼につつまれて、地球の生命の宿る歌声を聞き、谷口佳至英さんのアヴェ・マリアに慰められ、そして高見美貴さんの‘ラクスシャルキー’に度肝を抜かれてしまいました。

美貴さんは、すらりとしたとても美しい容姿に恵まれた方ですが、なによりもその香り立つような優しさに誰しもが魅了されてしまいます。その優しさの水紋が広がるように場が満ちて、やがて舞いが始まりました。

‘ラクスシャルキー’は、アラブ世界では、オシリス・イシスの昔より更に古く、何千年いや何万年の血脈の中を連綿と伝えられてきた舞踏です。‘オリエンタルダンス’のエキゾシズムにショー化される事もありますが、たとえどのように変ろうとも、舞い手の肉体の記憶の地層を通底する古代の偉大なパトス(魂の熱情)の水脈の決して涸れることはありません。それは、世界にあまたの川があり、見ているこちらの心さえ洗われる美しい清流もあれば、悪臭を放つどぶ川もあります。しかし、どんな汚い水であろうと、水そのものH2Oは決して汚しえないのと同じです。

人の身体も更にはその心さえ、人一代で出来るものではないでしょう。私一人がここにあるためには、人類史百万年としても概算4万人ぐらいの母の行列が、命を産み、そして産み、さらに産み…掛け替えのない珠を手渡ししてこなければありません。地球に生まれた、たった一粒の脈打つものから人に至るまでは、更に気の遠くなるような生命の行列が連なります。地の果てまで続く壮麗な王の行進を見る思いがします。そして、石塊から、一打ち一ノミ削り取られ、やがて見事な彫像が姿を現すように、自然淘汰のノミの巧みに磨かれて、今私がここにいます。

人が何かの危機に直面した時、考えるより先に反射的に身体が回避しますが、身体の持つこの先天的な知恵は、永い年月を掛けてその合理性を獲得し、後の世代の身体の依って立つ大地の地層をを作ります。魂のパトスも、子を見つめる母の魂の窓である瞳から、乳房から乳が子に川のように流れていくように、子の瞳の中へ流れ込み、何万世代の命を重ねる毎にその地層を重ね、私達の依って立つことの出来る豊饒な大地となり、人が豊かな水を汲むための器となってくれるのでしょう。

舞踏は、その舞う肉体の内に耳を澄ませば、肉の一筋に至るまで歌い始め、その地層の中に埋もれている、この古代文字で書かれたような己の由来を語りはじめることでしょう。‘ラクスシャルキー’は、まさに人が触れることも穢すことも、名付ける事さえ出来ない大砂漠の存在の磁場を母胎に、生まれてきた偉大な舞踏です。人の思いが極まり溢れて身体の堰を切った時、身体は地のくびきを断って、まさに天空に羽ばたくごとく舞踏が誕生したのではないでしょうか。

オイリュトミーの大家、笠井叡さんが私どものホールのたった三段の階段を降りた時、私たちが目撃したのは虚空を一万メーターも下降する輝く飛行体でした。産道を出た赤ちゃんが初めて「オギャー!」と泣いたその一声と同じ、「降りること」が「いままさに生まれた」としか言いようのない聖なるなにものかでした。

その時、まわりの空気さえ、一万メーターの滑空に震えていました。しかし、このたった三歩の天使の舞踏は、ただ「笠井叡」においてのみ成就するもではありません。実は、私たちも日頃無意識のうちになしています。ただ彼は、その平凡な人の営みの底を支える、人類の神話的な領域を白日の下に曝しただけなのです。

歴史上最も有名な舞踏の一つは、聖書の伝える古代パレスチナ王ヘロデの娘サロメの‘七つのベールの舞い’です。予言者ヨカナーンの首を代償に舞うサロメが、エロス(生)とタナトス(死)のせめぎ合う潮の高まりに身を呑まれる予感にわななきながらも、その高みを目指すやむにやまれぬ衝動に突き動かされ、一枚一枚その身を覆うソロモンの栄華のごときベールを剥ぎ落とし、もはや何一つ剥ぎ落とすもののない真珠の裸身を白日の下に曝した時、サロメはその宿命に殉じ、サロメであることを失いました。

しかし、やがてその灰土の中から一輪の花の咲くように、その身体は生命の王土そのもの、シバの女王の宝庫に勝る、むき出しの豊饒な真実以外の何者でもないものと化していたのです。そして、自らの身から立ち昇る熱気と香のむせびかえる紫煙の向こうに、中空に浮く己を見つめる瞳を見た時、この天与の真実が故に、サロメはエロス(生命の力)を宿す自らと、タナトス(神的力)の御使い‘神の口'予言者ヨカナーンとの合一の中に、自らが解かれていくのを感じていました。


もし、私達が広々と麗らかな野原で、

『誰もみていないかのごとく自由に踊れ!』
『誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌おう!』
『あたかもここが地の上の天の園であるかのごとくに生きよ!』

と言われたら、人は己の身体の堰、また心の堰を切るのではないでしょうか。私達は、めったやたらと思う存分、歌い、踊り、羽ばたくことでしょう。いつ止むとも知れず、まるで今まで失われていた分を取り戻すかの勢いで!そしてやがて、あのスーフィーの回旋舞踏が美しい円を描きながら地を離れ、天に昇っていくように、身体の中に確かに満ちてくるものがあるのを聞きとります。それは、手のひらに乗っている、過去…現在…未来を一つにした透き通る珠の中に微笑む華、無心の喜びです。

美貴さんのBelly(腹)は、その中に全ての命あるものの苗床となる豊饒な大地を宿し、そのなめらかな美しい肌の輝きはすべてを育むエネルギーを無償で与え続ける太陽のものでした。そして生命そのものの熱の発露、太陽や大地のビートを打ち続けたのです。

私達はそのビートに共振し、まるでこの地球に初めて生まれた、たった一粒の脈打つものになったかのように震えていました。土と水の大地に、初めて生命が誕生するのを目撃しているかのように、私達の中に生命の新生するのを感じていたのです。

大サハラへのキャラバンの出立の前夜、天を焦がすかがり火にあおられ、数百頭の駱駝の雄叫びに天地が揺らぐ中を、何昼夜にわたり踊り続けられてきた‘ラクスシャルキー’が、かがり火が消えると共に終わり、人の息さえ聞こえぬ静寂があたりを包んだ時、人が天に捧げたこの供物を確かに受け取り、このけなげな人の覇気に共鳴りし、天が歌うのが聞こえるように思いました。それは、湿気のない砂漠では星が瞬かないのに、満天の星が人の小さな命に共感するように、美しく瞬いてくれたからです。

美貴さんの舞いに託された命の鼓動に手を引かれて、私は再びサハラの地に立ちました。


  …‥‥・つづく・‥‥…

「サハラ砂漠紀行」 Ⅸ ‘ われ山にむかいて目をあぐ ’

『われ山にむかいて目をあぐ、わが助けいづくより来たるや…』


これは聖書の詩篇121編中の有名な言葉です。

皆様にもご経験がおありではないでしょうか、若い頃に一途な思いで経験したことや学んだことが、年を経るに付け、思いもかけずその意味合いを深め高まることがあります。高き山並みのごとく目前に立ち現われ、その峰々を越えていかねばならぬ思いに駆られながらも、もはやその高みは人の身で越えられるものではないものと悟り、『わが助けいづくより来たるや…』と山を仰ぎ見るような思いを持たれたことが。

人はおのが身の限りあるはかなさをかみしめながらも、たしかにこのひと時、この一点この場に我が身が存するためには、あまねく真実が結集し、輝きを放つ結晶とならねば存せぬ事を自ずから知っています。そして、おのが内にあるその輝き故にか、その高き峰の彼方から『わが助けいづくより来たるや…』との問いかけに確かに呼応する声のあることを、風の中にも聞く思いがいたします。この「サハラ砂漠紀行」を書きながらも、砂漠の純粋さが白日の下に曝すのか、その応答を聞くような思いに何度も励まされました。

私が心に誓った砂漠の旅は、人が触れてはならぬ自然の厳粛な神殿に、この小さき魂と肉体を捧げても悔いはなし!という、一世一代の覚悟を強いるものでした。背中にしょった荷物の中身は、隠しもできないたった一つ、小さき命一つのみ、身を守る術も手だてもなく、想像を絶する40℃をこす灼熱の救いのない不毛の大地を歩む旅となります。

この触れてはならぬものに触れ、生死に関わる危険を冒す旅に、ハッと我にかえると身がすくみ、為さない自由もあるのだと何度も引き返す誘惑にかられましたが、そんな私を励まし夢を果たす勇気を与えたのは、他ならぬキャラバンを率いる'砂漠の民'ベドウィンたちの覇気に満ちた黒い瞳と、まさに'砂漠の船' 駱駝の決死の旅を前にしても、ナンの恐れもなくのうのうと横たわる姿でした。

私を見る彼らの瞳は微笑むように落ち着いていました。それは砂漠こそが彼らが何千年にわたり生き抜いてきた王国、故郷であることを教えていたのです。その微笑みを見たとき、私は彼等に守られている限り、旅を全うできると確信しました。

ベドウィンは、人間の生存には過酷な砂漠をあえて選び、そのバドウ(地獄)を住み処に彼等の家系図ではアダムにつながる太古より、歴史を生き抜いてきた勇者です。彼等が胸にかざしたジャンビア(三日月刀)は、偉大なる砂漠と、その聖なる地に生きる民である民族の誇りを証するものです。

彼等は、砂漠という大自然の不可侵の国境によって守られた、アフリカ大陸北部からユーラシア大陸深部に至る広大な王国を自由に遊牧、往来し、自らの王国の不毛により、民族の伝統と血の純潔を守り、一切の余分なものをそぎ落とした骨と神経と筋の固まりである見事な肉体と'ハーマーサ'(剛勇と熱情)と云われる彼等の高貴な精神を作り上げたのです。

彼等は厳しいものに打ち勝ち生き抜いてきた民族としての誇りから、彼等の庇護無くしては生きられない砂漠の客を 'ディヤーファ(客人好遇)'の美徳をもって迎えます。彼等に迎えられることは、まさに砂漠自らにその偉大なる門をくぐることを許されることであり、私のサハラの旅はここに始まりました。


            …‥‥・つづく・‥‥…

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