ペンション・モーツァルト日記

山中湖畔・平野の森の入り口にある“ペンション・モーツァルト”の日記です。

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「サハラ砂漠紀行」Ⅹ ‘ エロスとタナトスの舞い ’

季節も三月を迎えると、標高1000mの湖に降る雪も、もう冬の雪ではありません。去りゆく冬がなごりを惜しむかのように明るい空から牡丹雪が舞い降りてきます。人は贅沢ですね、あれほど温かい春を待ちわびていたのに、イザそのはしりを見ると振り返って冬の楽しさ美しさに惹かれます。

冬の楽しい思い出は、毎年お正月に山川紘矢さん・亜希子さんに、お目にかかれることです。まるでX'masの夜の子どもが贈り物をいただいたように、‘アァ、今年もいい年になりそうだ!’と、希望と力が湧いてきます。あれだけの大きなお仕事を為されながらも、学ぶこと歩むことをおろそかにされない、その謙虚で誠実なお姿に深く心うたれるからです。

会には、毎年全国からたくさんの方がお越しくださいますが、皆様初対面にかかわらず申し合わせたようにお心が響きあい、美しいハーモニーにこの場が清められるような思いがして、いつも深い感謝の気持が起こります。

今年は特に印象深い会でした。いつも変らぬ亜希子さんの慈愛の大きな翼につつまれて、地球の生命の宿る歌声を聞き、谷口佳至英さんのアヴェ・マリアに慰められ、そして高見美貴さんの‘ラクスシャルキー’に度肝を抜かれてしまいました。

美貴さんは、すらりとしたとても美しい容姿に恵まれた方ですが、なによりもその香り立つような優しさに誰しもが魅了されてしまいます。その優しさの水紋が広がるように場が満ちて、やがて舞いが始まりました。

‘ラクスシャルキー’は、アラブ世界では、オシリス・イシスの昔より更に古く、何千年いや何万年の血脈の中を連綿と伝えられてきた舞踏です。‘オリエンタルダンス’のエキゾシズムにショー化される事もありますが、たとえどのように変ろうとも、舞い手の肉体の記憶の地層を通底する古代の偉大なパトス(魂の熱情)の水脈の決して涸れることはありません。それは、世界にあまたの川があり、見ているこちらの心さえ洗われる美しい清流もあれば、悪臭を放つどぶ川もあります。しかし、どんな汚い水であろうと、水そのものH2Oは決して汚しえないのと同じです。

人の身体も更にはその心さえ、人一代で出来るものではないでしょう。私一人がここにあるためには、人類史百万年としても概算4万人ぐらいの母の行列が、命を産み、そして産み、さらに産み…掛け替えのない珠を手渡ししてこなければありません。地球に生まれた、たった一粒の脈打つものから人に至るまでは、更に気の遠くなるような生命の行列が連なります。地の果てまで続く壮麗な王の行進を見る思いがします。そして、石塊から、一打ち一ノミ削り取られ、やがて見事な彫像が姿を現すように、自然淘汰のノミの巧みに磨かれて、今私がここにいます。

人が何かの危機に直面した時、考えるより先に反射的に身体が回避しますが、身体の持つこの先天的な知恵は、永い年月を掛けてその合理性を獲得し、後の世代の身体の依って立つ大地の地層をを作ります。魂のパトスも、子を見つめる母の魂の窓である瞳から、乳房から乳が子に川のように流れていくように、子の瞳の中へ流れ込み、何万世代の命を重ねる毎にその地層を重ね、私達の依って立つことの出来る豊饒な大地となり、人が豊かな水を汲むための器となってくれるのでしょう。

舞踏は、その舞う肉体の内に耳を澄ませば、肉の一筋に至るまで歌い始め、その地層の中に埋もれている、この古代文字で書かれたような己の由来を語りはじめることでしょう。‘ラクスシャルキー’は、まさに人が触れることも穢すことも、名付ける事さえ出来ない大砂漠の存在の磁場を母胎に、生まれてきた偉大な舞踏です。人の思いが極まり溢れて身体の堰を切った時、身体は地のくびきを断って、まさに天空に羽ばたくごとく舞踏が誕生したのではないでしょうか。

オイリュトミーの大家、笠井叡さんが私どものホールのたった三段の階段を降りた時、私たちが目撃したのは虚空を一万メーターも下降する輝く飛行体でした。産道を出た赤ちゃんが初めて「オギャー!」と泣いたその一声と同じ、「降りること」が「いままさに生まれた」としか言いようのない聖なるなにものかでした。

その時、まわりの空気さえ、一万メーターの滑空に震えていました。しかし、このたった三歩の天使の舞踏は、ただ「笠井叡」においてのみ成就するもではありません。実は、私たちも日頃無意識のうちになしています。ただ彼は、その平凡な人の営みの底を支える、人類の神話的な領域を白日の下に曝しただけなのです。

歴史上最も有名な舞踏の一つは、聖書の伝える古代パレスチナ王ヘロデの娘サロメの‘七つのベールの舞い’です。予言者ヨカナーンの首を代償に舞うサロメが、エロス(生)とタナトス(死)のせめぎ合う潮の高まりに身を呑まれる予感にわななきながらも、その高みを目指すやむにやまれぬ衝動に突き動かされ、一枚一枚その身を覆うソロモンの栄華のごときベールを剥ぎ落とし、もはや何一つ剥ぎ落とすもののない真珠の裸身を白日の下に曝した時、サロメはその宿命に殉じ、サロメであることを失いました。

しかし、やがてその灰土の中から一輪の花の咲くように、その身体は生命の王土そのもの、シバの女王の宝庫に勝る、むき出しの豊饒な真実以外の何者でもないものと化していたのです。そして、自らの身から立ち昇る熱気と香のむせびかえる紫煙の向こうに、中空に浮く己を見つめる瞳を見た時、この天与の真実が故に、サロメはエロス(生命の力)を宿す自らと、タナトス(神的力)の御使い‘神の口'予言者ヨカナーンとの合一の中に、自らが解かれていくのを感じていました。


もし、私達が広々と麗らかな野原で、

『誰もみていないかのごとく自由に踊れ!』
『誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌おう!』
『あたかもここが地の上の天の園であるかのごとくに生きよ!』

と言われたら、人は己の身体の堰、また心の堰を切るのではないでしょうか。私達は、めったやたらと思う存分、歌い、踊り、羽ばたくことでしょう。いつ止むとも知れず、まるで今まで失われていた分を取り戻すかの勢いで!そしてやがて、あのスーフィーの回旋舞踏が美しい円を描きながら地を離れ、天に昇っていくように、身体の中に確かに満ちてくるものがあるのを聞きとります。それは、手のひらに乗っている、過去…現在…未来を一つにした透き通る珠の中に微笑む華、無心の喜びです。

美貴さんのBelly(腹)は、その中に全ての命あるものの苗床となる豊饒な大地を宿し、そのなめらかな美しい肌の輝きはすべてを育むエネルギーを無償で与え続ける太陽のものでした。そして生命そのものの熱の発露、太陽や大地のビートを打ち続けたのです。

私達はそのビートに共振し、まるでこの地球に初めて生まれた、たった一粒の脈打つものになったかのように震えていました。土と水の大地に、初めて生命が誕生するのを目撃しているかのように、私達の中に生命の新生するのを感じていたのです。

大サハラへのキャラバンの出立の前夜、天を焦がすかがり火にあおられ、数百頭の駱駝の雄叫びに天地が揺らぐ中を、何昼夜にわたり踊り続けられてきた‘ラクスシャルキー’が、かがり火が消えると共に終わり、人の息さえ聞こえぬ静寂があたりを包んだ時、人が天に捧げたこの供物を確かに受け取り、このけなげな人の覇気に共鳴りし、天が歌うのが聞こえるように思いました。それは、湿気のない砂漠では星が瞬かないのに、満天の星が人の小さな命に共感するように、美しく瞬いてくれたからです。

美貴さんの舞いに託された命の鼓動に手を引かれて、私は再びサハラの地に立ちました。


  …‥‥・つづく・‥‥…
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