ペンション・モーツァルト日記

山中湖畔・平野の森の入り口にある“ペンション・モーツァルト”の日記です。

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「サハラ砂漠紀行」 Ⅸ ‘ われ山にむかいて目をあぐ ’

『われ山にむかいて目をあぐ、わが助けいづくより来たるや…』


これは聖書の詩篇121編中の有名な言葉です。

皆様にもご経験がおありではないでしょうか、若い頃に一途な思いで経験したことや学んだことが、年を経るに付け、思いもかけずその意味合いを深め高まることがあります。高き山並みのごとく目前に立ち現われ、その峰々を越えていかねばならぬ思いに駆られながらも、もはやその高みは人の身で越えられるものではないものと悟り、『わが助けいづくより来たるや…』と山を仰ぎ見るような思いを持たれたことが。

人はおのが身の限りあるはかなさをかみしめながらも、たしかにこのひと時、この一点この場に我が身が存するためには、あまねく真実が結集し、輝きを放つ結晶とならねば存せぬ事を自ずから知っています。そして、おのが内にあるその輝き故にか、その高き峰の彼方から『わが助けいづくより来たるや…』との問いかけに確かに呼応する声のあることを、風の中にも聞く思いがいたします。この「サハラ砂漠紀行」を書きながらも、砂漠の純粋さが白日の下に曝すのか、その応答を聞くような思いに何度も励まされました。

私が心に誓った砂漠の旅は、人が触れてはならぬ自然の厳粛な神殿に、この小さき魂と肉体を捧げても悔いはなし!という、一世一代の覚悟を強いるものでした。背中にしょった荷物の中身は、隠しもできないたった一つ、小さき命一つのみ、身を守る術も手だてもなく、想像を絶する40℃をこす灼熱の救いのない不毛の大地を歩む旅となります。

この触れてはならぬものに触れ、生死に関わる危険を冒す旅に、ハッと我にかえると身がすくみ、為さない自由もあるのだと何度も引き返す誘惑にかられましたが、そんな私を励まし夢を果たす勇気を与えたのは、他ならぬキャラバンを率いる'砂漠の民'ベドウィンたちの覇気に満ちた黒い瞳と、まさに'砂漠の船' 駱駝の決死の旅を前にしても、ナンの恐れもなくのうのうと横たわる姿でした。

私を見る彼らの瞳は微笑むように落ち着いていました。それは砂漠こそが彼らが何千年にわたり生き抜いてきた王国、故郷であることを教えていたのです。その微笑みを見たとき、私は彼等に守られている限り、旅を全うできると確信しました。

ベドウィンは、人間の生存には過酷な砂漠をあえて選び、そのバドウ(地獄)を住み処に彼等の家系図ではアダムにつながる太古より、歴史を生き抜いてきた勇者です。彼等が胸にかざしたジャンビア(三日月刀)は、偉大なる砂漠と、その聖なる地に生きる民である民族の誇りを証するものです。

彼等は、砂漠という大自然の不可侵の国境によって守られた、アフリカ大陸北部からユーラシア大陸深部に至る広大な王国を自由に遊牧、往来し、自らの王国の不毛により、民族の伝統と血の純潔を守り、一切の余分なものをそぎ落とした骨と神経と筋の固まりである見事な肉体と'ハーマーサ'(剛勇と熱情)と云われる彼等の高貴な精神を作り上げたのです。

彼等は厳しいものに打ち勝ち生き抜いてきた民族としての誇りから、彼等の庇護無くしては生きられない砂漠の客を 'ディヤーファ(客人好遇)'の美徳をもって迎えます。彼等に迎えられることは、まさに砂漠自らにその偉大なる門をくぐることを許されることであり、私のサハラの旅はここに始まりました。


            …‥‥・つづく・‥‥…
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